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はだの浮世絵コレクション

問い合わせ番号:16406-6527-0683 更新日:2022年9月1日

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「はだの浮世絵ギャラリー」では、秦野市が寄贈を受けた浮世絵1,904点を順次、展示しています。

より多くの皆様に、この浮世絵という貴重な文化芸術資源を知っていただくため、「はだの浮世絵コレクション」と題して、「広報はだの」とともに浮世絵作品紹介をしていきます。

「東都名所 道灌山虫聞之図」歌川広重

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解説

 秋の夜長に鈴虫や松虫、きりぎりすなどが奏でる鳴き声をめでる「虫聞き」は、江戸時代の風物詩であり、俳句や詩歌を吟行するなど風流な遊びでもありました。

 虫聞きの名所として知られた道灌山(どうかんやま)は、現在の東京都荒川区西日暮里あたりの高台で、日光、筑波の山々まで見渡せる景勝地でもあり、江戸っ子の憩いの場所として有名でした。

 四季折々の江戸の名所を手掛けた歌川広重ですが、夕方の空が暗くなり始め、上がってくる大きな月を待ちわびながら月見酒を楽しんでいる人たちや、子どもが母親に虫かごを見せている親子のほほえましい様子など、広重のあたたかい目線でとらえた人物が描かれた情景となっています。

令和4年9月1日号掲載

「吾妻源氏放生会の図」三代歌川豊国

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解説

 旧暦の8月15日には、亀や鳥など、捕らえた生き物を解き放って自然に返す「放生会」(ほうじょうえ)という行事がありました。

 「放生会」は、仏教の戒律の「殺生戒」を元にした儀式として行われていましたが、江戸の町では寺社の境内や、川近くの露店や行商人から亀や雀などを買って、川や空中に放してやりました。

 生き物を逃がすという良い行いをして徳を積み、商売繁盛や家内安全などの御利益を期待する庶民の娯楽として行われるようになりました。中には、現在では高級な「放し鰻」もあったようです。

令和4年8月1日号掲載

「山海めでたい図会 十九 播州高砂蛸 はやくきめたい」歌川国芳

解説

 「山海愛度(めでたい)図会」は、タイトルを「~たい」という語尾で統一した美人画です。この「はやくきめたい」という作品には、若い女性が熱心に占い札らしきものを見ている様子が描かれています。島田髷に鹿の子の飾りをつけ、青いかんざしや櫛などを挿し、白い花があしらわれた渋い青地の着物に赤い帯、白と赤の裏表に青い花柄の茶色の重ね襟と黒の掛け襟が粋でおしゃれな装いです。

 猫好きで有名な国芳ですが、このように美人のそばに戯れる猫の姿も多く描いています。「山海愛度図会」は、各地の名産品を紹介するシリーズものでもあり、女性の後ろにあるコマ絵という小さい枠には、国芳の娘(とり女)が播州高砂の名産・蛸漁の様子を描いています。

令和4年7月1日号掲載

「名所江戸百景 目黒元不二」 歌川広重

解説

 日本で一番高い山である富士山は、ユネスコ世界遺産委員会によって「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」として平成25年(2013年)に世界文化遺産に登録されました。

 富士山は古くから信仰の対象である、江戸でも身近な存在でした。6月1日には富士山の山開きが行われ、江戸時代後期には、集団で富士に登拝する「富士講」が流行しました。

 女性や体力に自信のない人でも、富士山に登ったと同じ御利益を得ることができるように、富士塚と呼ばれる人口の山が江戸の各所につくられました。

 この「目黒元不二」は、約12メートルほどの高さで、山裾にある大きな松の木が有名でした。山頂には素晴らしい眺望が広がり、富士山とともに「大山詣で」でにぎわった丹沢山塊も望むことができたそうです。

 「名所江戸百景」のシリーズは、全部で120枚の揃い物で、風景画を確立させた歌川広重の集大成ともいえる作品です。風景だけでなく、幕末の江戸の動乱を感じさせないゆったりとした日常が描かれています。

令和4年6月1日号掲載

「木曽街道六十九次之内 板鼻 御曹子牛若丸」 歌川国芳

 

解説

 江戸後期の浮世絵師・歌川国芳は、美人、役者、風景、風刺など多彩な作品を描いています。中でも「武者絵の国芳」と称されるほど、勇敢な武将や三枚続きの迫力ある画面は人気を集めました。

 「木曽街道六十九次之内」は、目録を含めて72枚からなる揃い物です、街道の地名にちなんだ人物や物語が、ユーモアや遊び心を持って描かれています。

 「板鼻 御曹子牛若丸」は、鞍馬山に預けられていた源義経・幼名牛若丸が、夜になると武芸の修練に励んだという逸話をもとに、烏天狗との剣術の稽古をしている場面です。

 稚児輪にたすき掛けの牛若丸は、幼いながらも気品ある姿です。一方、倒れている烏天狗たちはいずれも鼻を手で押さえており、「痛!鼻」ということから地名の「板鼻」を連想させます。外題の周りには天狗の持つヤツデの葉の形をした団扇が添えられ、左上のコマ絵といわれる宿場の町の図も同じ団扇の形になっているところに細かい演出が見られます。

令和4年5月1日号掲載

「(八犬伝・芳流閣)」 三代歌川豊国

解説

 江戸時代の戯作者・曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)が著した『南総里見八犬伝』は、文化11年~天保12年(1814年~1841年)の長きにわたって刊行された98巻106冊という大作です。馬琴は長年の執筆により失明してしまい、長男の嫁・お路に口述筆記させるなど、苦労の末76歳の時についに完成させました。
 
 物語は、安房・里見の伏姫の持つ数珠の玉がはじけ飛び、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」のそれぞれの玉を持つ勇士(八犬士)が登場し、バラバラとなっていた八つの玉が集まり、里見家のために活躍するというあらすじです。

 画面は、芳流閣の大屋根の上で、向かって右は犬塚信乃、左は犬飼現八が決闘している名場面です。互いを八犬士とは知らずに、宝刀・村雨丸とめぐって戦っています。「芳流閣の決闘」は歌舞伎でも人気ですが、提灯に照らされる中、宙返りをして倒れる捕り手の姿も描かれていて、臨場感にあふれた迫力ある舞台の様子が伝わってきます。

令和4年4月1日号掲載

「雪月花之内 はな(源氏絵)」 三代歌川豊国(歌川国貞)

解説

 『源氏物語』は、平安時代に紫式部が描いた長編物語ですが、浮世絵の「源氏絵」は、柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』を題材にしています。『偐紫田舎源氏』は、「源氏物語」を翻案し、三代歌川豊国(歌川国貞)が挿絵をつけ、38編が刊行されました。

 物語は室町時代に置き換えられ、「光源氏」ではなく、第8代将軍足利義政の息子「足利光氏」が、原典の『源氏物語』に沿った女性たちと浮名を流しながら、お家騒動を解決していくというあらすじです。

 物語の名場面を浮世絵にするのが流行し、「源氏絵」というジャンルが生まれ、源氏絵に出てくる着物や、海老茶筅と言われる髷も流行しました。物語は贅沢を禁じる天保の改革により絶版となりましたが、この源氏ブームは幕末まで続きました。

 この作品にも光氏と思われる人物や、桜の花の咲き誇る美しい庭で花見を始めようと縁台を準備している様子などが描かれています。

 現代のお花見と変わらず、楽しそうな雰囲気が伝わってくるような華やかな作品です。

令和4年3月1日号掲載

「東海道五十三次 藤川」 歌川広重

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解説

保永堂版「東海道五十三次之内」が出版され、大成功を収めた歌川広重は、風景画を確立し、生涯で20種類以上の東海道五十三次のシリーズを手掛けました。

この作品は、画面に狂歌が添えられていることから、通称「狂歌入東海道」と呼ばれています。大判の半分のサイズで、小さいながらも穏やかな画面に人物や名所、名物が盛り込まれ、旅への期待や憧れを強く抱かせた広重ならではの情景が展開されています。

保永堂版では、蒲原宿の黒い背景に白い雪が積もり、旅人の足跡が描かれた夜の雪の風景が有名ですが、この「狂歌入東海道」シリーズでは、三嶋と藤川の二宿が雪景色となっています。

黒い闇に深々と降る白い雪の静寂な世界が展開される藤川宿の風景ですが、御油、赤坂に続く宿場であることから、旅人を宿泊させようと袖を引っ張っている様子がうかがえる「行過る旅人とめて宿引きの 袖にまつはるふぢ川の駅 常盤園繁躬」という狂歌が詠まれています。

令和4年2月1日号掲載

「冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図」 葛飾北斎

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解説

葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、世界に影響を与えた浮世絵風景画の名作です。北斎は90歳まで長生きし、生涯にわたって活躍しました。この作品は描いたのは72歳頃とされ、はじめは36図の予定でしたが、評判が良かったので10図増え、全部で46図が出版されました。

三井見世(越後屋呉服店)は、江戸日本橋界隈の駿河町に「現金掛値無し」を看板に掲げ繁盛しました。その店の大きな屋根の間の藤さんは、通りの奥に白い頂のある凛とした姿で描かれています。藍色の一文字ぼかしが引かれた上空には、「寿」と書かれた凧が高々と揚がり、屋根の上で作業している瓦職人の躍動感あふれる姿との相乗効果で、空の高さがより一層強調されています。画面を彩っているのは、その当時輸入され流行した化学染料「ベロ藍」(プルシアン・ブルー)で、ぼかしに藍色を使った鮮やかな色合いが印象に残る作品です。

令和4年1月1日号掲載

「暦中段尽し 意勢固世見十二直 取 極月の餅搗」 三代歌川豊国

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解説

「意勢固世見」は伊勢暦をもじったもので、「十二直」は、その運勢暦の中段に書かれることから「中段」と呼ばれ、暦に記載される日時や方角などの吉凶を記したものを指しています。十二直には、建(たつ)・除(のぞく)・満(みつ)・平(たいら)・定(さだん)・執(取)(とる)・破(やぶる)・危(あやふ)・成(なる)・納(おさん)・開(ひらく)・閉(とづ)があり、「直」は「当たる」という意味で、よく当たる暦注だと信じられていたようです。

極月(ごくげつ)とは、旧暦の12月のことで、年の極まる月という意味です。この作品は、年の瀬に正月の餅をついている様子を描いています。たすきがけ姿の女性は、つき終わった大きな餅を二つに分けて鏡餅を作っています。その後ろでは稚児輪に結った紙の女の子が、楽しそうに小さく丸めた餅を木の枝に刺しています。画面の左上には、杵や臼、かまどや蒸し器などの餅つきの道具が描かれ、現代に伝承されている正月を心待ちにしている様子が見て取れます。

令和3年12月1日号掲載

「市川団十郎園芸百番 五 暫」 豊原国周

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解説

「このヘビメタみたいなやつかっこいい!」現代の学生もこの絵はかっこいい!と思うようです。普通の人ではない存在。ただし悪魔というよりは荒ぶる神。悪いやつらから助けてくれる、強くてかっこいい!存在。そう、大魔神や仮面ライダーのような存在です。

昭和の仮面ライダーといえば、子どもの頃、疑問がありました。女性やこどもをさらっていこうとするショッカーの戦闘員に、なぜ仮面ライダーが「待てぃ」と声をかけるのか、そしてなぜショッカーは待つのだろうかというものです。七代目団十郎が天保年間に市川団十郎家代々の当り狂言を歌舞伎十八番として選定した中に「暫」は入っています。今にも処刑されそうな無実の人たちを救うために「しばらく(待て)、しばらく(待て)」と言って登場し、彼らを助け出します。仮面ライダーが昭和の子どもたちを熱狂させたのは、「暫」という江戸から続く伝統に根ざしていたからではないでしょうか。

「市川団十郎園芸百番」は劇聖と謳われる九代目市川団十郎の演じた様々な役を描いた役者絵の続物で、「五 暫」の「五」とはこの作品がシリーズの五番目であることを示しています。出版円は明治27年(1894年)。板元は、福田熊次郎。彫師は二世渡辺彫栄です。なお、勝海舟・山岡鉄舟とともに幕末の三舟と称された高橋泥舟による書が掲げられています。

令和3年11月15日号掲載

「九代目市川団十郎の平井保昌・四代目中村芝翫の袴垂保輔」 揚州周延

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解説

平井保昌と袴垂保輔は、『今昔物語集』などの説話に登場する人物です。笛を吹きながら歩いている保昌を見つけた盗賊保輔が着物を奪おうとしますが、少しも隙が無いので手が出せなかったという場面を描いています。

この作品は団扇絵と呼ばれるもので、団扇に貼って使う用途で制作されました。消耗品のため敗れてしまえば張り替えてしまうので、使い捨てられ残ることの少ない団扇絵ですが、葛飾北斎、歌川広重などの著名な浮世絵師も手掛け、美人画やお気に入りの役者の舞台姿、四季の風物など、いろいろな絵柄が描かれました。

手に持つ団扇は、風を送るだけではなく、涼しさや華やかさを演出するための必須アイテムでもありました。団扇は実用品ですが、その小さな画面から江戸の粋や遊びなどを感じることができます。現代でも、好きなアイドルの団扇を使って応援する姿が見られるなど、多くの人に使われている団扇は、その用途も多様化し親しまれています。

令和3年10月1日号掲載

「市川団十郎演芸百番 花川戸助六」 豊原国周

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解説

「市川団十郎演芸百番」は、九代目市川団十郎の百図からなる役者絵です。

この作品は、江戸歌舞伎の代表である市川団十郎家に継承された「歌舞伎十八番」の「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の主人公である花川戸助六を、「明治の写楽」と称された豊原国周が画面いっぱいに上半身を描いています。

江戸一番の伊達男・助六が、遊女に煙管(きせる)を次から次へと手渡され、両手に持ちきれないほどになっている場面で、「煙管の雨が降るようだ」というセリフが有名です。頭には紫の鉢巻きをきりりと締め、黒色の衣装に襟、袖などからのぞく鮮やかな赤色が映え、江戸っ子好みの粋な装いをしています。

秦野は、江戸時代から葉タバコの産地として知られ、タバコ耕作者を慰労する祭として始まった「秦野たばこ祭」は、市最大の観光祭として開催されてきました。コロナウイルスの影響により二年続けて中止となってしまいましたが、「たばこの文化」は、浮世絵の役者絵、美人画、風景画の中にも見ることができます。

 令和3年9月1日号掲載

「名所江戸百景 神田紺屋町」 歌川広重

名所江戸百景 神田紺屋町のサムネイル画像

解説

「名所江戸百景」は、「東海道五拾三次之内」のシリーズでおなじみの歌川広重が、安政3年(1856年)頃から没するまで描き続けた集大成といえる作品です。「百景」としていますが、目録と弟子の作品を合わせて120図の大作となっています。

この作品のタイトルにある紺屋(こんや・こうや)とは、藍染め職人のことでしたが、江戸時代には染物屋のことを読んでいました。神田には染物職人が集まり、愛染川で浴衣や手拭いなどの染物を洗い流し、屋根の上の干し場で乾燥させていました。

東京2020オリンピック・パラリンピックのエンブレムに使われている和の雰囲気に満ちた日本の伝統的な市松模様や、「魚」は版元の魚屋栄吉の「魚」や広重の名前の「ヒロ」を菱形にしたデザインなどの染物が青い空にたなびいている景色は、風情にあふれています。その間には緑に囲まれた江戸城と富士山が描かれ、江戸を代表する名所や名物、文化などがしのばれる作品です。

令和3年8月1日号掲載

「吾妻美人ゑらみ 松葉屋内 喜瀬川」 喜多川歌麿

吾妻美人ゑらみ 松葉屋内 喜瀬川

解説

絵師、彫師、摺師の一流の技術がつまった江戸美人

喜多川歌麿は、寛政3年(1791年)頃から、当時役者絵に使われていた「大首絵(おおくびえ)」の形式を美人画に取り入れ、大変人気となりました。

歌麿はそれまで全身像を描いていた美人画に、画面いっぱいに上半身を描く「大首絵」を取り入れることにより、顔だけでなく姿や境遇、喜怒哀楽の心情までも描き分けました。

燈籠鬢(とうろうびん)に大きな島田髷(しまだまげ)を結い、大きな櫛(くし)や簪(かんざし)を何本も挿しているこの女性は、江戸吉原の松葉屋の喜瀬川です。

季節は暑い夏と思われますが、少しはだけた襟元に団扇を当てるしぐさは、いかにも涼しげです。髪の毛の生え際まで細かく表現する彫の技法を『毛割(けわり)』といいますが、歌麿の描く女性には、襟足のおくれ毛や額の生え際まで、絵師は勿論のこと、一流の彫師、摺師の技術が使われています。

令和3年7月1日号掲載

 「江戸名所道化尽 十九 大橋の三ツ股」 歌川広景

江戸名所道化尽 十九 大橋の三ツ股

解説

江戸っ子の遊び心が満載

歌川広重の門下とされる歌川広景の代表作「江戸名所道化尽」は、50図から成る幕末の江戸の名所絵です。広景の風景画には、おかしな格好や滑稽な描写の人物が登場し、思わずくすっと笑ってしまう面白さから、江戸っ子の遊び心が満載です。

隅田川にかかる大橋(両国橋の元々の名前)の上から、赤い褌(ふんどし)一丁の男たちが、暑さのあまり川の中に次々と飛び込み、売り物のスイカを積んだ下の小舟に激突し、今にも転覆しそうです。スイカ売りの驚いた表情や叫び声、水しぶきの音などが画面を飛び出して聞こえてくるかのようです。

令和3年6月1日号掲載

「当盛十花撰 牽牛花」 三代歌川豊国・歌川広重

当盛十花撰 牽牛花

解説

『当盛十花撰』は、その腕前から「人物の豊国」、「風景の広重」と称された、三代歌川豊国と歌川広重が分担して描いています。

嘉永6年(1853年)発刊の江戸の著名人や名物を位置付けした【江戸寿那古細撰記(えどすなごさいせんき)】に、「豊国にかほ(似顔絵)、国芳(武者絵)、広重めいしょ(名所絵)」と記されているように、人気絵師が贅沢なコラボレーションをしています。

この作品は、当時の千両役者たちをブロマイドのように描いた三代豊国による人物と、花鳥画も盛んに描いた広重による牽牛花(朝顔)が大きく背景に配置され、双方の筆力が見る者を引き付け、強い印象を与えています。

朝顔は奈良時代に薬用植物として唐から伝来し、種子を漢方薬として服用していたようです。中国では種子のことを、牛に引かせて売り歩いていたので、「牽牛子(けんごし・けごし)」と呼んでいました。朝顔の花は、「牽牛子」の花ということで、「牽牛花(けんぎゅうか)」とも呼ばれ、江戸時代には、夏の涼を呼ぶ観賞花として愛好されました。

令和3年5月15日号掲載

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所属課室:文化スポーツ部 文化振興課 文化交流担当
電話番号:0463-86-6309

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